何度でも言いますが個人サイトを持とう

悲しきかな、各種SNSの治安が悪くなってきているという噂は枚挙に暇がないくらいたくさん聞くようになりました。「ある日突然アカウントがなくなっていた」という話も定期事案になってしまうくらいの事態の情報を昨年の暮れくらいから頻繁に耳にするようになり、SNSのコンプライアンス基準について色々と勘ぐりを入れる事態が発生するようになりました。BANの事案については以前からも言われていた話なのですが、ここ数ヶ月間に於けるこれらの件数はかなり上昇傾向という噂が飛び交っているようで、SNSの大移動がこれから発生するかもしれないという憶測まで飛び交うように。

そもそもSNSが安全安心な媒体かといえばそういう話ではなく、世界中から参加者が集まるSNSの多くは「相容れない多様性の混沌化した世界」というのがふさわしいくらいで、その多様な世界線の情報は、時に多大なストレスとやりきれない感情を運んでくる「厄介極まりないコウノトリ」という話。そこは普通に一般運用されるウェブサイトとまったく同じものであり、何なら自由度の観点から見れば一般のウェブサイトを小規模グループで運営した方が良いまである話なので、何度でも「個人サイトを持とうと提言したい」次第です。どうせ費やす労力はそこまで変わらない訳で、BANのリスクを分散化させるという意味では「保険」みたいなものと思って。

SNSから閉め出される日がやって来る

SNSは確かに多くの情報をもたらしてくれましたが、そこには「知らなくて良かった情報」「知りたくなかった情報」も多数含んでいました。そして、その空間に参加する母数が増えれば増えるほど「相容れない情報の錯綜」は増えていきました。良い・悪いで括れない問題ですが、結果として昨今は悪い方向に話が進みやすい傾向が強いと言われているようです。「1%くらいは必ず問題児がいる」という話はネット上のニュースなどで定期的に揶揄される「極論保持者は必ず少数存在する」の理屈の話らしいですが、「1%の比較対象数が激増した」昨今、その1%による暴挙暴論の類が激増しているという問題が議論されるようになったと言います。

LGBTなどの「多様性」について議論が交わされる機会が増えたと言いますが、そのカラクリは「多様性のゴリ押し」であり、多数決による決定を前提とした民主主義思想の全否定と揶揄されることもあるとかで、議論というか暴論の応酬になっているとか何とか。結果として観測されるのは言葉による陰湿かつ横暴な行為ばかりであり、結果としてSNSのコンプライアンスが目的地不詳のまま迷走を繰り返すという事態になっているという話。

だったら、はじめからSNSに依存しない「場所」が必要じゃないかという話。そこで、「個人サイトへの回帰」は「情報発信をするなら固定した場所が必要」という話になるわけで、SNSの治安不安定な昨今だからこそ「個人サイト回帰」は有って良いことだとして提唱したい次第です。

相容れない場所で不毛な戦いをしないために

何だったら、海外基準で運用されているSNSへの参加は、大なり小なりのリスクを背負っていると考えるのが良いのかもしれません。日本の思考や思想・価値観は海外から観測すると「極めて混沌としている」という話は以前より云われていた話であり、とりわけ宗教的観点から見ると極めて異質な部分が多く見受けられると言われているようです。宗教的価値観は基本的な思考や判断基準に強く影響を及ぼす部分であり、その土地の宗教・信仰対象は人生観にまで影響を与える「礎」のようなものなのですが、日本に於けるそれはかなりカオスかつガバガバであり、「八百万の神が居る」という一神教界隈では考えられないような思考・思想がまかり通っている国なので、そもそも「多様性ある考え」の基準が色々ズレている部分が多々あるように思います。

そもそもSNSなどの「企業サービス」を利用するにあたっては、当該企業の基準に準拠した決まり事に沿って利用する必要が発生します。趣味・思考・思想及び表現といったデリケートな部分を含む分野に於いて日本は圧倒的自由度があると言われていますが、それは海外では理解できない部分も多く含んでいるという部分でもあり、国によっては法的解釈がそもそも違うという事案もある部分です。思想や表現の自由は保証されていると言われていますが、その基準は国家基準などによって差異があり、国によっては絶対的に相容れない部分もあったりします。そもそも日本の文化界隈は「混沌が過ぎるまである」ので、何だったら「相容れない文化・思想がその辺に転がっている」まである次第。

そこに目標や信念があるのであれば「その礎を自前で作る」というのが、ある意味でウェブの常識みたいな部分でもあるので、敢えて「自身のホーム」を持つというのは至極真っ当なことだと考えています。

そろそろ時代が一周する頃合いかもしれない

時事や流行が周回して懐古的に流布するように、ウェブのトレンドもそろそろ懐古周期が近いのかもしれません。勿論それはただの憶測ですが、SNSが明確に住みにくくなってきた昨今だからこそ、敢えて不便なウェブサイトを持つという思考は「そろそろ一周回ってくる」のではないかと考えている次第です。現在はソーシャルメディアと個人サイトがある程度連携が効くようになってきたこともあり、各々のペースでゆっくりと移行することも不可能ではなくなってきたので、このあたりで「自分の居住区を確保する感覚でウェブを持つ」というのも視野に入れるのは思慮の余地はあるものと思っています。これによって「ウェブを持つことによる意思表示が明確にあるかどうか」という「主張や信念の宣言」や「確固たる意思表示」の提示、それによる誤解の拡散防止などに一役買えるのではないかと期待しています。ウェブに発せられる言葉の重みが確実に重量を持つようになった昨今のネット事情を鑑みれば、常日頃からの「明確な意思表示の言葉」は重要な意味合いを持つのではないかと思っている次第です。

ウェブのアップデートは接続する全てのユーザーに掛かっているからこそ、今からでもウェブについて学ぶのは重要であり、遅くないと思っています。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です