九州コミティアの出展物に寄せて

九州コミティアに参加したサークル参加者および一般参加者・企業ブース参加の方々、おつかれさまでした。改めて九州地区の即売会イベントで500サークルオーバーのハコの大きさを体感した感覚を噛みしめているところです。具体的には財布の紐が緩くなりすぎた金銭事情を噛みしめているだけの話なのですが、四半世紀ほど前に地方即売会が盛り上がった時期の記憶が蘇る程度に熱量が高まった次第です。これが更なる創作のループに繋がることを願って止まない次第ですが、まずは先日の「戦利品」のことを長々と書き綴ってみたいと思っている次第です。

ジャンルごとの「島」を見ている限り、約4割がマンガ作品準拠、約4割がイラスト作品準拠、残り2割がいわゆるマイナージャンルに準ずるもののように見えました。ここ数年即売会イベントには参加していなかったのですが、昨今のイベントはかなり「華やかなイメージ」だと思いました。特に雑貨系やグッズものを扱うサークルさんはかなり増えたように思った次第、とても視覚的に華やかな印象を受けました。ここ数年のサークル参加者の傾向はあまり把握してはいないものの、スペースのディスプレイなどの視覚的要素がかなり色とりどりになったようで、見ているだけでも結構楽しかったです。

「カワイイは普遍的コンテンツである」という話

華やかな背景にあるのは、いわゆる「美少女系コンテンツ」だと言っても過言ではないと思いました。オタク趣味を30年以上続けている老人会参加者ですが、「可愛い女の子は普遍的なコンテンツである」と声を大にして言いたいと思った次第です。フィクション作品・ルポルタージュ作品・ノンフィクション作品のどれであれ、背景にいるのはおおよそ人間というキャラクターであり、老若男女のカテゴリで「どれが視覚的に目を引くか」という分野で区分していくと「可愛い女の子」という回答に高確率で辿り着くというのは「色」という分野を考慮すると普通かつ普遍であるなと思った次第。この分野を扱うと「色」の部分を「性」と置き換えられがちですが、そちら側から突き詰めていっても「三大欲求である性欲の理論」は「色に置き換えられる情報」だと思うのです。色々と単語を並べてしまいましたが、「可愛い女の子を見てしまったら、つい目で追ってしまうだろう?」という話なのですが。

世の中にはいろいろな解釈がありますが、時代が変わったところで思春期の少女がカワイイを追求するのは生存戦略のひとつで、生物学的には「種の保存のための本能的行動」であり、社会的視点から見れば「承認欲求のための社会的行動」だと思うのです。多様な考え方があるだろうし異論もあるだろうという話ですが、それは思春期に於ける少女たちの「本能に基づいたもの」だと解釈できる、そう考えている次第です。何なら日本発のキャッチコピーには「かわいいは正義」というフレーズがあったくらいには。

今回の戦利品の半分くらいは「カワイイ」に沿ったイラスト集やマンガ作品・グッズの類が占めていましたし、それだけかき集めても多様な表現があって個性があったと感じています。

キャラクターの牽引力について

雑な言い方で表現するならば、マンガ作品もイラスト作品も「キャラクターが牽引するコンテンツ」であると定義できると考えています。つまりは「主題がキャラクター」という作品群、何だかんだ人が影響を受けるのは「自分以外の人間の存在や行動理念」などだと思う次第です。誰かの間に生まれ、誰かの影響を受けて大人になり、誰かに影響を与える存在になっていく。そのテンプレートに沿った行動ですら、どこかの誰かに影響を与えていく。その仕組みは人間が人間社会で生きていく基幹部分であり、普遍的なコンテンツに置き換えられる人々の永続的な物語のテンプレートだと思う次第です。「物語を紡ぐ人がいて、物語に翻弄される人がいる」というただそれだけのストーリーに「キャラクターが噛み合う」だけで「そのキャラクターの人生という物語が出来上がる」訳なので、「魅力的なキャラクターメイキング」を求めるのは至極普通な普遍的行動心理だと思う次第。

昨今の創作界隈は「視覚的分野を専攻しすぎている」という人もかなりの数いるようですが、物語を紡ぐのは人であり、彼らキャラクターの容姿や人格・行動心理などの方であるため、「キャラクターありきの物語」のほうがむしろ自然なアプローチではないかと思う次第です。一時期のライトノベル界隈が「異世界転生して無双もの」が溢れかえっていたと揶揄されていますが、それは時勢を反映したキャラクターが「そうすることを求められて誕生した、時事的普遍性」だと考えています。それだけ現実社会が抑圧と抑制を強いているという実情を反映した「一種の社会風刺」とも捉えられるとも考察しているのですが、相応に名を挙げ手に取られているということは、色々言われながらも一周して「受け容れられる土壌があった」と思うのです。

これから何を作ろうかという話

中の人いわく「絵師を諦めた人」なのですが、今回のイベントを俯瞰視して思ったのは「多様なアプローチに絵は必須ではない」という話でした。文章もアプローチとしては充分な手段であり、何なら表現という手法に「テンプレートはあっても原則は存在しない」まであるという極論に至った次第で、これからどんな表現に手を染めようかというドキドキに包まれている次第です。写真や映像技術も表現のひとつであり、絵に限定しない表現手段は結構たくさんあるという回答にも至りました。ルポルタージュ系のネタは結構豊富にストックがあったりするので、その辺を基軸に何か創作作品を紡いでいければと考えている次第です。まあ、カワイイ女の子が描ければ一番満足度の高い創作物に手を染められるわけですが、それには多大な時間と労力が必要ということで、いったん保留しつつ計画を進めていこうと思っている次第です。

創作に王道と呼ばれる分野や構成があるといわれていますが、どこを辿っても物語は出来上がると考えています。物語が破綻しなければ王道ものが出来上がるだろうし、破綻した物語を無理矢理束ねてギャグマンガというアプローチもある。あの空間には500サークルくらいの参加サークルがあったのですが、500サークル分の人がどんな思いの元どんな物語を紡いだかは色々と興味が尽きないです。次回の開催がいつになるかは不明ですが、願わくは自身も物語を綴った何かを出してみたいと思った次第です。やはり創作は無限に面白い。

でも、やっぱりカワイイ女の子がいっぱい描けるようになりたいです。

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