ブログの目指す先について

ブログをはじめたのはもう20年近く前だったりします。当時はアフィリエイトが日本にもやってきたということでウェブ界隈はいろいろと盛り上がっていたのですが、「マネタイズありきのウェブサイトが乱立した」結果、「ウェブサイトの広告塔化」が深刻化してしまい、純粋なウェブサイトやブログを探すのが困難になった時代がやってきてしまいました。約4~5年にわたってアフィリエイトサイトの事は勉強しましたが、成果数値が出ないよりも先に「広告が煩わしくなって」いろいろと手放してしまったという経緯があります。その気持ちは今も引きずっており、今でもマネタイズには少し懐疑的な部分も持っています。

ウェブサイトのマネタイズ化についてはその有用性や効果について色々研究しましたし、一時期は相応に成果を出すことが出来ましたが、「悪貨が良貨を駆逐する」かのように「迷惑顧みぬスパムサイト」が乱立する事の方が早かったこともあって、広告によるマネタイズには早い時期から疑問符を抱いており、アフィリエイトは今となってはほとんど手つかずになっています。再開も一応は考えているものの、当面は趣味サイトなどを書き綴っていく活動に専念し、サイト改築などの技術まで揃ってから一考しようと思っている次第です。

書きたいことはどこに行った?

個人サイトは、「自己満足半分と承認欲求半分」と考えながら記事作りをしています。「この感情がぐるぐる回ることでブログは継続しやすいものになる」というのが今までのサイト運営の経験則で、自分自身を一番効率よく突き動かすエネルギーに変換できるサイクルパターンだと考えています。多くのブログ読本やウェブ技術書を読み漁ってきましたが、技術的な問題以上に「自身の発信意欲の維持」の方が圧倒的に重要であり、「モチベーションの維持した上での情報整理の効率化」や「発信に至るまでの経緯の分析からの更新サイクルの構築」など、「自分自身への精神的なアプローチを経てからの技術論」こそが、遅かれ早かれはあれども「継続性の高い最適解」だと思った次第です。これを「マネタイズありき」に置き換えると、おおよそモチベーションの維持が困難になりやすいというのが自身の経験論。

「自分自身の書きたいことと合致していれば」マネタイズサイトにするのは容易なことだと思うのですが、少しでもそのベクトルからズレてしまうと「ズレた分だけ意欲が削がれる」という感覚とでもいうのでしょうか。広告出稿側の案件記事がキツくなってきます。好きだからこそ見える部分には「良い部分と悪い部分」というのが必ず混在するものと思うのですが、それらを客観視した上で中立的に書くことに対して色々と「感覚的なズレ」が発生してしまうわけで。そこに出稿サイドから「イメージが悪いから」などの理由で「いいとこ取りな記事に差し替えられる」のは、やはり第三者メディアとしてはやはり「執筆意欲ブレイカー」になってしまうと思うのです。レビュー記事なんてものは「第三者の身勝手かつ好き勝手な感想文」のようなものなので、その「独断と偏見交じりでも俯瞰視点で見た個人的な感想」にこそ第三者メディアの価値があるまである分野なので、中立視点を「いいとこ取りに差し替える」のはやはり違うと思う次第です。

狂うことのない意思はあるか否か

「ブログが楽しいメンタルを作ることがブログ継続の最大の秘訣」と、先人ブロガーさんの著書にはだいたい書いていますし、実際に本人の口からも発せられた言葉でもあったりします。実際、「アクセスがあるか解らないブログを書く事を楽しめるメンタル」でなければ、こんな狂気じみた趣味は楽しめない次第です。ウェブでは「検索されない記事は無駄な労力」と揶揄されるくらいに「目に留まることに比重のあるメディア」なので、強靱な意志か異常すぎる義務感でもない限りこの個人メディアを維持するのは困難な事です。それを成し得るエネルギーといえば「好きこそものの上手なれ」という気持ちくらいしか見当たらないのがブログの継続なので、アフィリエイトブログの書き手の多くが挫折や苦難に苛まれるのは至極普通の感情だと思う次第です。

また、アフィリエイト界隈には一定数の「嫌儲勢」がいるくらいには「お金の絡む世界」であり、お金のやり取りのある世界にはやはり「規律と倫理と法的問題に係る問題」は必ず存在する世界でもあります。私的感情や私怨もあるでしょうが、「お小遣い稼ぎ感覚で」という文言が飛び交う程度に倫理観や法的感覚が不確定型な当時のアフィリエイト界隈は、本当に楽しむメンタルがあるか、こういった情報発信の類が心底好きなガチ勢くらいしか維持できないものだったのではないかと思う次第です。そもそも「副業はしなくて良いならしない方が幸せになれる」と思う分野でもあるので、今でも「副業のためにウェブ活動までして仕事を物色する」というのは不毛極まりない話のように思っています。

「純粋なエネルギーありきの世界」という認識は本当にここ2~3年くらいで感じたことなので、自分自身も10年くらいは棒に振った感はあります。これはある意味「好きを仕事にした時に『自身の好きを疑う感情』に似ている」と感じました。今は好きな時間に好きなだけ気ままに更新するスタイルで特に広告やマネタイズを考えること無く、思いつくがままに記事を書くようにしています。

情熱はSEOに勝るかどうか

結局のところ、ウェブは「SEOに勝る情熱」で動いていると考えています。これに対する根拠みたいなものは有りませんが、情熱から生成される熱量は機械的な情報で計り知れない部分がだいたい存在します。そもそもマネタイズに必要なのは「ライターの信用度」であり「機械的なページビュー」でないことは、昨今のGoogleの検索エンジンのアップデート傾向からも明確になってきています。とりあえず「その日に一番書きたいことを書く」ということを1年間繰り返すだけで、そのブログには書いたことに対する存在意義みたいなものが生成されるのは間違いなく、それをより「自分の好きなこと」や「情熱を捧げられること」に絞り込むことで「サイトの価値」に繋がるものだと思っている次第です。

私自身は飽きっぽい人間なので、理論的なことは向かないし、情熱の揮発性も高いです。今こうしてブログを書いているのは、半分くらいは「過去の経験を無駄にしたくない惰性の部分」というのはありますが、もう半分は「熱量を吐き出すことの楽しさの反復」だと感じています。実際好きなもののレビュー記事を書くのは心底楽しいし、それらをどこかで公開することで幾らかの承認欲求は満たされるわけで、まだもう少し「惰性でもいいから書く事を止めずにいよう」と思っている次第です。

情熱があるなら、形にしないと勿体ない。お金も時間も、この気持ちの行き場所も。願わくは、この足跡を残せるだけ残したいというワガママな気持ちを生涯ずっと。

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