PENTAXと過ごす夏休み 03

PENTAXを嗜みだしてそろそろ10年目になりますが、時代はペンタプリズムよりもミラーレスという潮流のようで、時代への逆行感がハンパないです。写真界隈では「ミラーレスでフルサイズ」というのがトレンドで「キレイに撮れて当たり前」がメインストリームらしいですが、オールド趣味ガチ勢の一員としてはこのままPENTAXの旧型機でネチネチと嗜んでいくというのもアリかなと思っていたりする次第です。SNS界隈では日々「写真撮影議論」というのが盛り上がっているようですが、そのあたりの境界線はやはり「仕事としての写真撮影」か「趣味としての写真撮影」なのかに収束するのではないかと思っている次第です。難しいところ。

今年というか、ここ数年の間で「写真に於ける赤色の表現」を追求してきたように思う次第です。仲間内の趣味界隈では「夕焼けバカ」みたいなポジションにいるようで、とりわけ「夕焼けの朱を追求してきた」ここ数年だと思っています。その類の写真を全て公開する術はないのですが、できるだけ自サイトやSNSで写真をアップしてみることが出来ればと思っている次第です。昨今、写真は「感性に依存する趣味」とよく言われているようですが、フィルムからやっている趣味人は「感性半分・化学半分の世界」という趣味に位置付けられると表現しているようで、フィルムの素材性質や特性や光源の分析による光の三原色による表現手法の確立など「論理ありきの映像」を説く傾向にあるという話を聞いたりもしました。色々な写真趣味人との会話をしてきましたが、やはりこの世界は興味の尽きない分野の趣味だと再認識した次第です。

これからの写真趣味界隈はどうなるのか、これからの写真のトレンドは何処になるのかなど、趣味界隈の人々との会話のタネは尽きません。ただ、昨今の写真機の性能向上が極端に著しい都合、こういった「基礎技術」の部分を語り合う機会はめっきり減ったと言われているようです。私自身は印刷工の経験をしたときに光学機器に触れる機会がありフィルム版のノウハウを否が応でも覚える必要があり写真との接点を持ったのですが、ここに来てそのフィードバックの恩恵を受けるとは思ってもいませんでした。「古いカメラでも新型に肉迫出来る」と再三教えられてきましたが、昨今はそれを感じるシーンがいくつかありました。

ひとつは「光景の大きなレンズ」による集光。昨今のフラッグシップは極端に解像度が高いことに定評がありますが、「光が無ければ映像が出てこない」事実に新旧機種の差異はあまりないという話で、「古いカメラで撮れる技術的な取り組み」をいろいろ学びました。新型に刷新すれば一発で解決する問題といえばそれまでなのですが、解像度に制約のある機種でならした方が「フィルム風に撮れる」という話を聞いて、めちゃくちゃ頑張ってみました。正確には「デジタル補正による自然さの破綻の回避」のための技術だとか何とか。

ただ、基本装備がどうしても物量的に限定的にしか持ち出せない都合、1本ないし2本のズームレンズでどこまで映像を出せるかを追求することになりました。結局のところ、解決策として「三脚常時持参」によるバルブ撮影で無理くり解決策としました。骨董品級のズームレンズにいろいろ無理をかけない程度に露光させるという方法でもってある程度画像を捻出するに至っています。また、それに見合った設定データを収集し、細かい補正設定などを経て色々とやり繰りする方法を教わったりしました。

二つ目に「使える設定は全部使ってみる」を実践しました。解像度やシャッタースピードは勿論のこと、内部設定でいじれる部分は全部触ってみて、細かい部分はケルビン値までいじりました。普段触ることも無いであろうマニュアルまで引っ張り出して、どんな設定があるかを調べ上げました。無論、ファームウェアは最新版に更新し、追加機能があれば全部触ってみました。なかなかプレビューでその全性能を把握するのは難しいですが、その中からよく使うであろう設定をいくつか絞り込み、プリセットに加えるなどしてフィールドで困らないようにしました。新型の機体になればなるほど「良くわからない機能」や「普段使いしないようなマニアックな機能」が増えていくと言われており、設定の認知と機能確認は徹底して「やるように」指導された次第です。

とにかく「現像工程に作業を極力持ち込まない」方法を突き詰めるよう徹底指導されました。いわゆる「撮って出し」を徹底していわれた次第で、ファインダーのイメージをそのままJPEGで出せるようにひたすらシャッターを切るという作業をやりました。フィルム時代からの趣味人いわく「いくらでも現像できるんだから納得できるまで撮れ」とのことで、フィルム時代はフィルム1本に同時プリントで2000円くらいはかかったとのこと。今はあふれるくらい撮ってもモニターで確認できて、なおかつ必要なものだけ現像するという方式がとれるから「とにかく枚数で経験値を稼げ」と言われました。遠慮無くシャッター切りまくった。

三つ目は「習慣化する」ことで「機材を馴染ませること」とのこと。要は「毎日でも撮れるなら撮れ」というシンプルな話で、「機材への熟練度を上げておけ」という話でした。「撮りたい瞬間を撮り逃がすことこそが痛恨の極み」という話は再三云われましたし、自身の体験でも大量に有る話。中核を占めるレンズと、想定できるシーンで使いそうなフィルターの選定などを日頃からやっておけという話で、そうすることでいざというときの判断力がキープできるという話でした。遠出するときはなおさらのことで、基本装備を確立させ、その上でギリギリまで装備を絞り込むことが重要だと教わりました。

「普段使わないレンズはだいたい失敗する」というのは本当に耳が痛くなる話で、オマケにメンテナンス不足などが付いてくるという話はよくある「あるある話」であり、レンズにゴミ混入などのチェックミスの放置に繋がるとのこと。定期的に何かブツ撮りでも良いので「何か撮る」という行為を習慣づけることを再三言われました、使わないと隙が出来るという話。

余談ですが、風景撮りというのは場所と天候に左右される結構ギャンブル性のある撮影被写体なので、部屋にある小物やアクセサリーなどを日々撮るという経験はある意味で重要な基礎であるとも教わりました。部屋撮りもアリですが、小物を屋外に持って出て撮ってみるなどの「変化球があれば」なの良いとのこと。「戦いは数だ」というのはこういうときに痛感するというのは先人の苦労話ですが、これからもフィールドで撮る分に関しては同じ苦労はつきまとうであろうと思う次第です。

 

そんな感じで2024年のPENTAX撮影小話はこの辺で終わりですが、当分の間はK20Dで趣味を満たしていこうと思っています。その筋の人から言わせれば「いわく有る機体」とのことですが、私にとっては「最高の訓練機」としてその地位を確立しつつあります。目指すはPENTAXのフルサイズ機ですが、もし別メーカーのカメラに移行してしまっても「基礎技術」は失われないだろうし、それらからしか得られない栄養というのは確実に存在するわけで、何はともあれ多様な写真趣味を満たしていこうと思っている次第です。諸説色々あるだろうし界隈にも色々な意見があるだろうけれど、自分の中で一番良い条件を揃えた上で、その中で予算や時間の許す範囲で楽しんでいこうと思っています。

もしかしたらまた「ねんどろいど小旅行」をやろうかとか考えていますが、それはまた別の話。フィギュアを改造したり、風景に馴染ませたりと色々な追加要素が必要なので、もうちょっと研究も必要になりそうなので。コンテンツ拡充のめどが立ったら、その辺も紹介していきたいと思っています。

短い夏休みでしたが、PENTAXの旧型からしか摂取できない栄養をたくさん摂ってきました。次は、冬の風景に向けて。

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